年賀状の歴史と意味(高田馬場店) |
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年賀状はお世話になった方や大切な方、親族への「年始回り」の代わりです。
古くから、1年に1度、相手の健康を祝い、そして無事息災を願う習慣がありました。
この習慣は、当時、家族や共同体で、お互いに顔を合わせて行われていたでしょう。
ですが、社会が複雑化して、その日に直接会えない親戚や知り合いの数が増えていったので、現代では色々なとらえ方があります
☆1年の感謝を伝える
お世話になった方に、1年の感謝の気持ちを伝えるのに年賀状を出す人は多いはず。
受け取る側も、自分への感謝の言葉が添えられていたら嬉しいですよね。
口には出しにくい言葉も、手紙なら抵抗なく伝えることができます。
☆普段会わない人と連絡が取れる
もともと、遠方で会えない方への新年の挨拶の手段として用いられた年賀状。
年を重ねると、近くにいても旧友や恩師に会う機会が減ってきたりします。
しかし、1年に1回のやり取りがあれば、会えなくても繋がっている感じがしますよね
☆お互いの近況報告
友人だけでなく、親族や仕事関係の人に出すことで、お互いの信頼関係を高めることに繋がります。
出したほうが良い印象を与えるのではないでしょうか。
ところで、
Q.年賀状は、いつごろ誕生したの?
A.年賀状の歴史はとても古く
「日本の年賀状の歴史は、明治に入って新式郵便制度の実施後、郵便葉書の普及に伴って一般化したとの見方が有力です。(略)しかしながら、大化2(646)年にはすでに宮廷で年賀の儀式が始まっています。平安時代に藤原明衡が著わした『雲州消息』には、年賀の手紙の例文がいくつも取り上げられています」(郵政博物館『年賀状の歴史と話題』より)
年賀状を出すことが世間に広がったのは、郵便制度の開始がきっかけですが、日本で年賀状が誕生したルーツは、平安時代にまで遡ります。
「群雄割拠の戦国時代に武将が記した年頭の挨拶文も残っています。戦国時代こそ儀礼を重んじ、意思の疎通を大切にする必要があったのかもしれません。また、太平を謳歌した江戸時代には公私の飛脚制度が発達し、年賀の詞を記した書状も多く現存しています」
(郵政博物館『年賀状の歴史と話題』より)
大正時代のはじめから、昭和時代にかけて、年賀状はますます普及します。
この時期は産業がものすごく発展しました。
このために地方から工場などで働くために上京して、都市に住んだ人が多かったのです
その人達が直接会うことができない親戚や知り合いに年賀状を送るようになりました。
このことで年賀状がより普及したのです。
Q.現在のようなはがきスタイルになったのは?
A.1873年(明治6年)に登場した官製はがきがきっかけです。
明治20年前後には、年賀状を出すことが年始の恒例行事となります。
多くの人が「1月1日」の消印を押してもらうために、年末頃に年賀状を投函し、郵便局の仕事量は普段の何十倍にも跳ね上がったそうです。
その対策として、「年賀郵便」の特別取扱が始まりました。
これは現在のように年末のうちに年賀状を受け付け、元日に配達されるという制度です
その後1949年に、いち民間人であった林正治氏からのアイディアで、お年玉つき年賀はがきも登場しました。
これは世界に類を見ない日本独自のものです。
当初、お年玉はミシンやグローブなどでした。
やがて電気洗濯機、テレビ、電子レンジなどの電化製品がお年玉になります。
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毎年恒例となっている年賀状ですが、こうした背景を踏まえ、今一度、年賀状の持つ意味を考えたいものである。
ちなみに年賀状のポストへの投函期限は、12月25日までに投函すれば離島などを除き、元旦に配達されます。
もともと新年の「挨拶回り」の代わりに出すようになった年賀状。
今年お世話になった方だけではなく、普段会わない方や仕事関係の方へ「挨拶回り」に行けない方がいれば、この際に年賀状を送ってみてはいかがでしょうか。